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住吉大社

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住吉大社

住吉大社は摂津の国一宮と言われており毎年初詣には200万人を超える人がお参りしている。

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摂津の国

「摂津の国」と言われてもなかなかピンとこないが、大阪府の北西部と兵庫県南東部を指すらしい。「阪堺電車停留所巡り」で書いた「大小路停留所」の付近にある晴明辻(占い辻)と呼ばれていた場所が摂津国・堺北荘と和泉国・堺南荘の境らしい。「摂津の国」と西の「播磨の国」との境は神戸市須磨区らしいがあまりイメージがわかない。

奈良県が日本から消えた時期があった

神社仏閣の区割りは明治維新前の「摂津の国」を使っている。少し住吉大社の話題とはそれるが、「日本全国県境の謎」(注1)という本によると現在の奈良県である大和国が奈良県に変更された5年後に堺県(現在の大阪府堺市)に併合され奈良県は無くなってしまった。そのために住民は生駒、金剛の険しい山をを超えて泊りがけで用をたさなければならなかったらしい。

朝廷側と幕府側

現在では想像もつかないが幕末に朝廷側につくか幕府方につくかあいまいな態度をとったことも理由の一だと書いてあった。
官軍につかずに幕府方についたところはかなり冷や飯を食ったらしい。

平成30年の大河ドラマ「西郷どん」が始まるが鹿児島県の不満士族を収めるために鹿児島県に宮崎県を併合させたが効果はなく結局、西南の役が起こり宮崎県は巻き込まれて戦場となり土地は荒れ果てた。その後も分県は認められず鹿児島中心の行政が続いたため宮崎県の住民は長い間捨て置かれたらしい。

大阪も都構想とやらでもめているが、今も昔も行政の区割りでは争いが絶えないようだ。

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初詣は電車で

おっさんも正月は近所の神社にお参りをし、電車に乗って住吉さんにお参りに行く。(*ここ数年は人混みがおっくうになり、お正月に参拝することは無くなってしまった。)車で行けば近いが正月は止めるところが無い。一筋西の国道26号線は大勢のガードマンや警官が路上駐車する車を規制している。以前は少し離れるとズラッと路上駐車していたが最近は昼間に路上駐車している車は見かけない。しかし少し離れたところにある空き駐車場を待つ車で付近を通過するときは結構渋滞したりする。

昔からよくお参りをしている割に、太鼓橋ぐらいしか知らない。弓を射、歌を詠み、田植えをしてお米を作り、星を眺め、月を眺め、お祭りをする、結構いろいろな行事があるらしい。

四つのお社

そり橋(太鼓橋)を渡って門をくぐると手前から奥に向かい第三本宮、第二本宮、第一本宮と続き第三本宮の右横に第四本宮がある。
海を渡る船団の形をしているといわれている。

社殿の旁は住吉造り

第一、第二、第三本宮の千木(ちぎ)は先端が垂直削であり、第四本宮の千木は水平削になっている。

第四本宮は女性の神様・神功皇后(じんぐうこうごう)がまつられている








本殿の軒下を通る瑞垣(みずがき)は頭部を山形にして縦板を密着させている。



御田

太鼓橋を渡り普通にお参りをして帰れば気づく事は少ないが南側に田んぼがある。

御田と呼ぶらしい。年に何回か会合でお会いする方が御田でお米を作っている。 横にある説明書きを要約すると


国指定重要無形民俗文化財

住吉大社の御田植

住吉大社の「御田植神事」は「御田(おんだ)」とも呼ばれ、毎年6月14日に執り行われる。

社伝によれば、神功皇后さまが、五穀豊穣を祈るために、長門国から植女を召して御田を定められたに始まると伝えれている。

10月17日に「宝之市神事」に初穂を神前に供える。


と言うことらしい。

(今はもう田んぼなど見かけない都会の真ん中に「御田」がある)


(後一月ほどで刈り取られる9月中旬のお米)


(子供たちに開放されているときもあるようだ)


(風がないのでせっかくのこいのぼりも元気がない)
おも軽石
五・大・力
まじまじと見たことは無かったが大きな立札が神社正面にある。
(立て札)

住吉大社 御神楽祈祷のご案内
大神の恵みを心身に戴き、神恩感謝、
海運招福を祈願して下さい
人生儀礼(個人)祈願として
初宮詣・七五三詣・家内安全・厄除祈願
安産祈願・交通安全(乗用車・二輪車)
良縁祈願・清祓祈願・病気平癒など
団体(会社・法人)祈願として
商売繁盛・会社隆昌・事業繁栄・海上安全
工事操業安全・交通安全(輸送・運輸)など
出張祭典(現場にて祈願祭典)
地鎮祭・起工式・竣工式・安全祈願祭
店舗開店清祓式・入居清祓式など
・・・
住吉大社社務所 ・・・
とある。

書いてある中では、子供たちの初宮詣、七五三詣はお世話になった記憶がある、いやいやおっさん自身の千歳あめの袋を持った写真がある。



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