「徳川家康」 (2017/09/20)
約3カ月ぶりの更新だ。

連日、聞いていた「今日も暑いですね。」という挨拶もきかなくなった。

先日、1年ぶりに懐かしい方と会食する機会があった。航空自衛隊で戦闘機のパイロットとして日本の空を守っていた方だ。

現在の仕事で知り合ってから数年になる、かなり人生の先輩だが、おっさんより何倍も元気に活躍されている。

その折、大阪府堺市にある「南宗寺」という大きなお寺で徳川家康が祀られていると言う話が話題になった。


実は、徳川家康は大坂夏の陣で亡くなり、その約1年後に天婦羅に当たって亡くなったは影武者であり、用済みになったので毒殺されたと言う話だ。

良く調べられていて理由を沢山あげられていたが、残念ながら大半は忘れてしまった。

覚えている事を書きだしてみると、南宗寺は堺の空襲で焼けたが残っている多くの瓦に葵の御紋が描かれている事。他家の使用を厳しく制限していた葵の紋があると言う事は、かなりゆかりがなければならない。

徳川を盤石にするために必要だった「武家諸法度」や「禁中並公家諸法度」を制定するには家康公の権威無しには到底できないので制定まで影武者を使った。

側近の多い江戸城に直接戻らず駿府で過ごした事。

江戸城で秀忠と会った時は2人だけだった事、残っている籠の天井のやりの痕、南宗寺に残っている色々な物・・・などを挙げられていた。

この話はテレビなどで、たまに都市伝説のように取り上げられているが、案外これが史実かもしれない。
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