阪堺電車
妙国寺前
堺市の大道筋と呼ばれている広い道路の真ん中を阪堺電車が走っており「材木町交差点」を挟んで浜寺駅前行き、天王寺駅前行きの停留所があります。

「妙国寺前」の停留所名が示すように近くに妙國寺さんがあり又、大道筋を南に歩くと「大きな出刃包丁」の看板を掲げている堺伝統産業会館があります。

妙国寺前 妙国寺前
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妙國寺へは、材木町交差点の大道筋と交差する道を南東に400mほど行ったところにあります。

交差点には案内板や石碑が設置されており迷うことは無いと思います。

反対側に曽呂利という和菓子屋さんが有り妙國寺に行くには下車した停留所から曽呂利さんと反対側へ大道筋を渡ります。
和菓子・曽呂利 和菓子・曽呂利

妙國寺は日蓮宗のお寺で国指定天然記念物のソテツが有名です。

大蘇鉄は樹齢千百年と案内されていますが、その大きさよりも織田信長が安土城に持ち帰り再び戻したなどのソテツにまつわる伝説が興味を引きます。伝説の背景には当時の宗教を巡る信長との確執など色々な事が隠れていそうです。

拝観料は400円で年末年始以外は10:00から16:00拝観できます。

拝観は案内人の方が詳しく説明してくれます。
歴史上の人物がそこかしこに出てくるので歴史好きの方は一度訪れてみる価値があるかも。

「堺事件」と呼ばれている土佐藩士とフランス水兵の衝突で責任をとった土佐藩士十一人が寺の境内で切腹したときの資料なども見ることが出来ます。絵図も残っており、切腹の現場には大河ドラマでディーン・フジオカが演じた五代友厚が立会人として登場しています。

私が拝観した時はちょうど観光バスの方々が帰った後でしたので案内人の方と1対1で詳しく説明を聞きことが出来ました。

残念ながら拝観中は撮影が禁止されているので写真を撮ることは出来ません。

(写真は交差点におかれている案内板と石碑)
妙国寺前 妙国寺前
 
妙国寺  妙國寺 正面からまっすぐに進みお寺の建物の中に入ると拝観受付があります。
妙国寺 妙国寺
 妙国寺
妙国寺
妙国寺  入り口にある蘇鉄(左の写真)は大蘇鉄ではありません。
   
 廣普山 妙國寺
大蘇鉄の写真 (拝観時に頂いたパンフレットより)妙国寺

霊木“妙國寺のソテツ”
(大正13年12月 国指定天然記念物)

当山の大蘇鉄は樹齢千百年余と称され、これにまつわる神秘的な伝説を残し全国的に知られている。

時は戦国時代、無敵の力を誇り天下統一の野望を抱いていた織田信長は、妙國寺の蘇鉄の噂を聞くに及び、権力にまかせ蘇鉄を安土城に移植したが、毎夜「堺に帰りたい」と云う怪しげな声が聞こえ、冷気が城中を悩ました。
激怒した信長は部下に命じて蘇鉄を切らしたところ、切り口より鮮血が流れ大蛇が悶絶したごとく見えた。さすがの信長も恐れ「妙國寺に戻せ」と叫んだ。

妙國寺に戻った刀傷だらけの蘇鉄を見て、日珖(にちこう)上人は憐みを感じ、蘇鉄の蘇生を願って境内に植えなおし法華経を一千部読誦したところ、満願の日に青い芽が吹き出した。

上人の夢枕に、蛇身の白髪老人が現れて宇賀徳正龍神であると名乗り、竜神は日珖上人の祈りに感謝し、女性は生みの苦しみを和らげ、苦難にはその災厄を逃れしめ、福運の乏しき者には福徳を授けると三つの誓いを立て、それを果たす為にこの寺の守護神になることを伝えた。

上人はこの所にお堂(徳正殿)を建て当山の守護神として祀ることにした。
(拝観時に頂いたパンフレットより原文のまま)

堺事件(土佐十一烈士)
慶応4年(1868年)2月堺で起きた土佐藩士とフランス水兵との衝突。幕府没落と明治新政府樹立のはざまで起きた出来事で「堺事件」と呼ばれている。

堺の町を警護していた土佐藩士と上陸してきたフランス水兵とが出くわした際言葉が通じない事も有り意思疎通が出来ない中、いざこざとなり、発砲が起きフランス水兵が殺傷された。

死者は11人と多数の負傷者が出た事により外交問題に発展、フランス側から賠償金の支払いと加担した者の処罰を要求してきた。

最終交渉の結果、賠償金の支払い15万ドルと加担した者の内20人の切腹を境内で行う事となった。

慶応4年2月23日、双方立ち合いのもとで行われたが、余りにも凄惨な光景であったため、11人の切腹を最後にフランス側から中止の申し入れがあった。残った9人は土佐に流刑となったが、明治天皇が1月1日に即位され、恩赦で無罪放免となり、12番目の橋詰愛平氏は生涯墓守をした。
(拝観時に頂いたパンフレットより原文のまま)

多くの藩士が関わっていた為に切腹の人選や順番は責任者の2名を除いて、くじ引きで決められたといわれています。

1番違いで切腹を免れた橋詰氏は若者が命を落とした事を悔み生涯墓守をし自分が死んだ後は1段下に墓を建ててほしいと願ったと伝えたられています。

土佐藩士にしてみれば忠実に堺を警護していたわけで、大和川河口に来た軍艦を追い返した事も全て後の新政府からの連絡が無かった事に起因するものでは、と考えたくなります。

ルソンの壺
呂栄助左衛門(るそんすけざえもん)がルソン(フィリピン・ルソン島)から持ち帰った壺。信長に献上したが不評。利休のわびさびに通じる風情から評価が高まり戦国武将に人気があった。
 
徳川家康の歌碑
家康は信長の招きで堺へ、妙国寺滞在の時、本能寺の変勃発。命の危険を察し急遽、堺からの脱出を決意し筒井一族の手引きにより伊賀越えをして三河に戻る。その後冬の陣の際、灰被の天目茶碗もらって帰り、その返礼として、滞在時にみた蘇鉄の素晴らしさを詠んだ歌と光堂天目茶碗を届けさせる。

妙国寺前 徳川家康

(拝観時のパンフレットより)

 阪堺電車

蘇鉄(ソテツ)
蘇鉄

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空き缶でスターリングエンジンを作ってみた。
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スターリングエンジン

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