カーブミラーを見ると交差点の左から自転車が走って来る、あれ?あの自転車は道の向こう側(自転車の走る道の左側:軽車両の正しい走行)を走って来るのか、道のこちら側(右側)を走って来るのか、一瞬迷うことが有りませんか。
凸面鏡なので距離感も分りにくいです。
もちろん一旦停止と徐行は必須ですが、こちらが停車していても自転車が右側走行でブラインドコーナーを急角度で曲がって来られると怖いですよね。
ではなぜ鏡に自分を写すと左右は反対になるのに上下は反対にならないのでしょうか。
インターネットを見てみると沢山の皆さんがその理由を色々と書いています。
脳の機能や哲学まで持ちだし賑わっています。
鏡は左右を入れ替えるのではなく前後を入れ替えると説明されている方もいます。うーん難しいですね。分っていても人に説明するのは難しいですね。
左右だけ反対なのは人間の目が左右並んでについているのが原因では?と書いているのもあります。
それでは思いっきり首を横に曲げて顔を90度倒すと2つの目は縦に並びますが上下左右の見え方は真っすぐに立った時と変わりません。
では脳の錯覚(情報処理)のせいでしょうか?写真を撮れば見た構図と同じなので脳の錯覚ではありません
■鏡はレンズではない
勘違いしそうなので最初に抑えておくことは、平らな鏡はレンズでは無いことです。
薄い半紙に書いた文字を鏡の前にかざして半紙の後ろから透かして見るといわゆるハンコに彫られたような文字になりますが、半紙の右にあるものは右に、半紙の左にあるものは左に、半紙の上にあるものは上に、半紙の下に有るものは下に後ろから透けて見える通りにそのまま鏡に写っていますよね。
鏡に映る自分は自分のコピー人形があちら側に有るのではなく、ただの鏡に反射した映像です。
■ いや問題はそこじゃない!
と声がかかりそうですね。
鏡に映る自分と、鏡の横に立った他人を見れば他人の右手と右手は反対だが、頭はどちらも上なのはなぜだ。とおっしゃりたい。
では招き猫の絵を使って考えてみます。
手前に招き猫がいて向こうの鏡に映っている絵です。
横に同じ形の招き猫を立たせてみます。
鏡の招き猫は右側の手が挙がっていますが、横の招き猫は左側の手が挙がっています。
頭はどちらも上にあります。
一コマ戻って招き猫が歩いて鏡の横に到着した時の絵です。
右側の手が挙がっており頭は上にあります。
もう一度振り向いてもらいます。
猫は水平方向に回りました。だから左右が反対で上下がそのままです。
もう一度一コマ戻って今度は垂直方向に振り向いてもらいます。
人間ではできませんが霊験あらたかな招き猫なら縦回転も簡単にできます。
今度は上下が逆になりました。
押し寄せるマスコミの情報に騙され無いようにしましょう。
千円札の本栖湖に映る富士は上下反対ですね、道頓堀に映ったグリコのネオンも、水たまりに映った通天閣も。
入射角と反射角が同じで、富士山の頂上から湖で反射して目までの経路上と、裾野から湖で反射して目までの経路上の反射点は当然山頂が手前に、裾野が遠くになり、遠くのすそ野が上に、近くに映る頂上が下になり、上下さかさまに見えます。
湖の向こう側に有る富士山が湖に映ると上下反対になり、左右はそのままです。
もともと人の目が凸レンズで実際の景色が網膜に上下左右が反対に映り脳が補正しているので色々とややこしく考えてしまいがちです。
網膜からの信号を伝える神経も途中で交差して左右反対の脳につながっているようです。
気楽なおっさんとしては、その手の話は苦手です。